2016年12月26日

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若者の貧困は自己責任なのか

諏訪原健(ReDEMOS / 筑波大学大学院)


若者の貧困という言葉をしばしば耳にする。10代後半から30代がよく若者と呼ばれるが、どうやら私たち若者は、多くの困難を背負って生きていかなくてはいけないらしい。

 

 

多額の奨学金を借りなければ、大学には進学できない…

大学に進学したけれど多くの時間をアルバイトに費やさなくては生活が成り立たない…

大学を出ても安定した職は見つからない…

仕事はあっても賃金は安く労働環境は悪い…

 

 

なるほど、確かに若者が置かれている状況は厳しい。しかし正直言って、僕には若者の貧困という言葉が、はじめはピンと来なかった。それは僕にとって、何でもない当たり前の現実だったからだ。

 

奨学金は1000万を超えるけど、大学を出て厳しい競争を勝ち抜けば自由に生きる道がひらける。

もし借金だけ残ったとしても、努力が足りなかったと思って生きていくしかない。

 

そんなことを思いながらずっと生きてきた。安全なレールの上から脱線しないように、常に足元に注意を払いながら生きてきた。ずっと緊張感をもって生きてきたのに、若者の貧困なんて言われたら、もともと安全なレールなんて無かったじゃないかと、何だか拍子抜けする気もする。同時に僕の人生を規定してきた当たり前は、どのようにして生み出されたのだろうかという疑問も浮かんでくる。この記事では、僕にとっての当たり前社会問題として見つめ直してみたい。

 

 

 

 

世界的に見て、日本は教育費の自己負担が大きい。それだけでなく奨学金制度も充実していない。奨学金のほとんどが利子付の貸与型で、これは世界的には奨学金(scholarship)ではなく学生ローン(student loan)と呼ばれるものだ。現在、大学生の約半分が奨学金という名の学生ローンを借りているが、その平均借入額は約300万円にもなる。

 

多くの若者は学費や生活費を稼ぐために、アルバイトに多くの時間を費やす。アルバイトはもはや気軽な小遣い稼ぎではなくなっている。正社員の削減によって責任の重い仕事がアルバイトに回ってきているのだ。休みたくても休めない、勉強する時間すらない、そんなブラックバイトと呼ばれる悪質なアルバイトが広まっている。

 

そこまでして大学に行かなくていいんじゃない?と言う人もいるかもしれない。たしかに、過去には高校を出れば1人1社は仕事を紹介してもらえるような時代もあった。でも今はかつてのように余るほど働き口があるわけではない。安定した仕事に就くためには、シューカツという激しい競争を勝ち抜かなければならず、大学全入時代に大学を出ないことは、自ら不利な選択することになりかねない。だからこそ無理をしてでも大学に進学することになる。

 

ただし、そこまでして大学を卒業したところで、安定した生活が待っているとは限らない。非正規雇用や派遣労働などの不安定な就労の比率は高まっている。違法で過酷な労働を強いるブラック企業で使い潰されてしまうこともある。それが原因でその後も働けなくなるケースすらあるのだ。

 

 

 

 

このような若者にブラックな社会はどのようにして誕生したのだろうか。その大きな要因として、日本型の生活保障システムの機能不全が挙げられる。

 

かつての日本では、男性の稼ぎ主が、年功賃金と終身雇用によって、家族を支えていくという仕組みが成り立っていた。そこでは稼ぎ主である男性と、専業主婦もしくは家計補助のためにパートタイムで働く女性を基礎として家族が形成されていた。保育や介護は家族特に女性が担い、教育においても家庭が大きな責任を負っていた。長期間にわたる安定的な雇用を前提にして、男性を外での労働、女性を家庭内での報酬の発生しない労働に縛り付けることで、女性の社会進出、また権利そのものを抑圧しながら、雇用と家族による生活保障が成立していたのだ。

 

そのようなシステムの下では若者は会社によって守られている。そのため現役世代向けの生活保障は顧みられることなく、社会保障政策は人生後半に集中していた。しかしバブル経済の崩壊を経験した1990年代以降、非正規雇用など不安定な雇用が増大。安定した雇用と家族に依存した生活保障システムは成り立たなくなった。しかしながら現役世代向けの社会保障政策は整備が遅れており、社会の変化に対応できていない。とりわけ生活基盤が不安定で、雇用の入り口前後の時期にあたる若者は、大きなリスクにさらされることとなる。それが若者の貧困という問題につながっているのだ。

 

 

 

 

若者の貧困は、もはや若者だけの問題では済まされない。若者の貧困を解消しない社会は、今後の社会を支える人間を育むつもりがない社会であり、将来的には持続可能性が低いと言われても仕方ない。またOECDの報告にもあるように、格差の拡大それ自体が、経済成長にとってマイナスに作用する。

 

かつての僕のように、若者の貧困当たり前として引き受け、その中でどうやって食いっぱぐれないようにするかだけを考えて生きていくこともできるかもしれない。しかしそうやって生きていけたとしても、この社会の中で誰かが困難を背負わされ続けることに変わりはない。そしてそれはたとえ目に見えなくとも、社会全体の活力を失わせ、自分自身にも必ず影響を及ぼすことになる。

 

今時の若者はゆとり世代でがんばりが足りないなどと言って、若者の貧困を自己責任論で片付けることは簡単だ。しかしそれはこの社会の将来に関わる問題を、ただ棚上げしているにすぎない。10年後、20年後、50年後の社会をみつめ、問題を共に考え、解決していくための民主主義の体力が試されている。若者の貧困は、この社会に生きる全ての人に関わる政治的課題だ。

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